歴史の勉強が進むと、実地での史跡周りに出かけたくなります。
特に近畿は歴史の宝庫。超有名な事件がすぐそばで起こってたりします。
今回は、勉強中の保元・平治の乱〜治承寿永の乱関係で集めてみました
摂津源氏の発祥の地。摂津源氏といえば源頼政従、三位大内守護。
(摂津源氏と「いわゆる源氏」河内源氏は別物です)
以仁王を逃がす時間稼ぎにと宇治平等院で平家と戦い
自害を遂げた人物です。
賛否はともかく時代を動かした人物。発祥の地にも行かないわけにはいかない!
世界遺産平等院 京都宇治(扇の芝)
平家物語でも有名な、頼政最期の地です。
今では知名度はそれなり、というところですが、
世界遺産平等院鳳凰堂が、ちゃんと史跡として整備・保存しているクラスの
有名なスポットです。
お墓は最勝院にあるそうなので、一緒にお参りしよう。
以仁王の墓がこちら。京都府木津川市にあります。
以仁王がもし興福寺に無事に到着していたら、もし東国に逃げ落ちていたら、
朝廷内での権力争いは混沌としたものになったでしょうし、
もし以仁王が宣旨を発していなければ、頼朝も義仲も挙兵しなかったでしょう。
色々な「IF」が成立する、戦乱の扉を開いた、まさに中心人物です。
肝心の挙兵の理由がよく分からないのですが、あまり深入りはしないことにします。
中世史には分からないことが大量に混じってるので、
そこそこで切り上げる鈍感力も大事になってくるのです。
なぜか六波羅のそばにある、佐藤兄弟の墓。
藤原秀衡の命で義経に従った、弁慶の次に有名な「忠臣」です。
兄弟で扱いやすいせいか、小説や大河などの創作物にもよく登場します。
主人の義経自体がああいう最期を遂げるわけなので、
二人とも非業の死を遂げるのは仕方ないですね。
佐藤忠信が数百の兵を引きつけて義経を逃がした、という
伝説の地。妙に矢倉が新しいので、説得力がない…
義経伝説に吉野は外せないのですが、
静御前との別れの次にドラマチックなシーンがこれでしょう。
これで6カ所。毎週通っても1ヶ月ちょっとかかります。
このブログで紹介する史跡は、近畿エリアの日帰り圏内が対象です。
近畿エリアは史跡がとにかく多い。
この範囲だけでも、膨大な量の「聖地」が見つかりそうです。