041:南北朝関係の史跡・墓所・お寺を調べたよ - Suicaどっとinfo
前回分はこちら。近畿圏内を中心にしらべてたので、
今回は近畿エリア外のを収集しました。
(その1)南朝の皇居跡 賀名生(奈良県五條市)
南朝の中心地といえば賀名生(吉野は最初だけだよ)
皇居跡はいまでも一般の方の住宅として使われているので、
公開されるのは春秋の年2回だけ。
サイトを見る限り、平成29年春の公開はないみたいです。
申込も結構面倒(往復ハガキのみ)だし、小学生以下は入れないし、
秋口までちゃんと覚えてられるかどうか。うーむ。
(その2)「日本国王」懐良親王の墓(熊本県八代市)
民に朝貢貿易をしたことで有名な懐良親王。後醍醐天皇の皇子、鎮西将軍です。
一時は太宰府を押さえるほど勢威をふるった「南朝の星」です。
また、変なタイミングで日本側の代表になった(使者が帰ってきた時点で太宰府を撤退済)ので、その後に貿易をしようとする人のいい迷惑にもなったとさ。
懐良親王自体はかなり面白い存在なので、南朝ファンとしても追ってみたい。
↑歴史上の史跡をしらべると、結構な確率でじゃらんnetが出てくる。迷惑な
(その3)北条氏最後の地 東勝寺跡(鎌倉)
北条高時をはじめ北条家が集団自決し、鎌倉幕府が滅んだところとして有名です。
太平記にも大きく取り上げられてる事件ですし、
日本史上でも外せない重要な出来事。わざわざ遠征する値打ちがありそう。
↑廃寺で公式サイトがないせいで、紹介できるページが全部しょぼい
(その4)武闘派の宮将軍 護良親王の墓(鎌倉)
鎌倉幕府滅亡の立役者、護良親王。
尊氏と対立して政治的に消されてしまいましたが、産まれながらの武将とも言える
その武勇に心を打たれた人は多いでしょう(たぶん)。
殺害された際に、相手の刀の切っ先を加えて話さなかったので
検分の際に偉い人に危害を加える恐れがあるとして、首をその辺に捨てられたという
因縁深いエピソードも太平記には残っております。
(その5)毒殺された副将軍 足利直義の墓(鎌倉)
調査中
鎌倉の浄妙寺という話があるが、信頼できるサイトが見つからない。
今度、足利直義の評伝を読むので、そのときに再度調べようと思う。
(全体を見た感想)
ちゃんと公式サイトを作ろうよ
人気の無い南北朝時代とはいえ、
史跡巡りがきっかけで観光に来られる方もいらっしゃいます。
寺、自治体どっちも、もう少し観光資源を活用しましょうよ。
もったいない。