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壇ノ浦(赤間神宮、平家一門の墓)に行ってきました(19.10.21)(136)

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史跡巡りのテーマは三つ。平家物語、太平記、行宮です。

今回は「平家滅亡の地」壇ノ浦+α。

 

まずは壇ノ浦。

義経の八艘跳びと「波の下にも都はございます」で有名です。

基本知識は説明しないので、適当に調べてください。

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関門海峡一帯が「壇ノ浦」、古戦場という区分です。

誰がどこで何をしたというわけではないですが、

関門トンネル(人道)の出口)にモニュメントがありました。

 

作ったのは大河ドラマ「源義経」の頃かな? 

「平清盛」だと壇ノ浦は出てこないし。

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「天皇の身柄&三種の神器の確保」

 

が頼朝政権の勝利条件。

なのに義経がで平家を滅亡させる+天皇は入水+宝剣は行方不明。

天皇や義経は替えが効くけど、三種の神器がなくなったのは痛い。

(天皇家の正当性がなくなってしまう)

  

近畿地方が大飢饉で和睦交渉の時間がなかった、

飢饉の深刻さが鎌倉にうまく伝わってなかったという話です。

 

そもそも平家は上級貴族だし、天皇家の跡目争いに敗れただけ。

降格して朝廷に戻せばよかった。

平家滅亡も安徳天皇の入水も、誰も望んでなかった。

不条理だ。

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出発はJR門司港から。

2019年3月に駅舎がリニューアルされました。

旧駅舎の方が「門司港レトロ」にマッチしてる気がする。

 

門司港駅が創建時の姿でグランドオープン!【最新情報・写真を掲載中】 - 北九州市

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門司港レトロ、跳ね橋あたりから。

対岸(本州・下関側)も奥に見えます。

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これも門司(九州側)から撮影。

赤間神宮は、大型マンション四棟の5軒くらい左。

屋根と赤い外壁が見えています。 小高い丘の麓ですね。

 

少し前までは、見える場所すべてが

阿弥陀寺(赤間神宮)の敷地だったんでしょう。

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関門海峡を渡り、赤間神宮の前に到着しました。

鳥居のすぐ手前まで車道が走ってます。 20mくらい先は海岸線。

 

大型駐車場完備(第3駐車場まで確認)で観光バスが頻繁に来てたり、

隣に結婚式場があったりと、いまどきの神社経営をしてました。

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行楽シーズンでしたが、あくまで平日。

関門トンネル人道(後述)とセットで来たのか、インバウンド客もちらほら。

私が帰った直後に、修学旅行生の大群が来たようです。

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元々は「阿弥陀寺」勅願寺です。

廃仏毀釈で阿弥陀寺が廃され、赤間神宮に。

(「寺だった」のは、耳なし芳一の下りで出てきます) 

  

勅願寺=国の政策として作ったお寺です。

 

目的は安徳天皇を弔うため。

崇徳上皇の一件と安徳天皇の悲劇的な最後。

当時の政治家なら、絶対に建てるでしょう。これは。

 

勅願寺は檀家がいない(収入源が地主収入と補助金)ので、国の庇護が前提です。

明治初期は神社を優遇(=寺の保護がなくなる)なので、

神社に変わったりそのまま消えたり。こういうケースが多々見受けられます。

(ちょい前に廃仏毀釈の勉強をしました)

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境内案内図。阿弥陀寺は跡形もない。

あと、想像していたより狭かったです。

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祭神は安徳天皇。水の神様です。

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安徳天皇がいた場所なので「行宮」になるんでしょう。

昨年の史跡巡りが「屋島行宮」「福原行宮」でした。

平家関係の史跡を優先して回ってます。次は厳島神社かな。

 

ちなみに、熊本に景行天皇の行宮(熊襲退治の時)があります。

どっちに行こうか悩みましたが、あっちはアクセスが悪すぎる。

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下関条約(日清戦争の戦後処理)の交渉は、近隣の老舗料亭で行われました。

ホテルの宴会場を一ヶ月間借り上げるような感じでしょうか。

 

李鴻章道は面白い由来があります。

体調を崩してて、いけなかった。次は必ず。

 

下関条約〜秘密の李鴻章道〜 | 鳥居正洋の日本史to長崎

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安徳天皇陵の門は閉まっていました。

阿弥陀寺の跡地の一部が安徳天皇陵…という意味かな。この書き方だと。

 

https://jun-nomura.wixsite.com/anntoku/plan

 

あれ、赤間神宮の一帯が「廟」だと思います。

陵墓を一カ所に特定して壁で覆う必要はあるんだろうか。

宮内庁っぽい陵墓管理のやり方だ。

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さて、大安殿へ。

子供の頃から憧れていた、あの場所へ。

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(左:平家塚・耳なし芳一堂)

 

www.youtube.com

 

盲目の琵琶法師が「さる高貴な方」の依頼で毎晩出張ライブをしてたら

それは安徳天皇と平家の亡霊だった、というお話。

子供の頃に聞いて、すごく怖かった。

その後で平家物語を勉強したら、もっと怖かった。

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写真は失敗しました。

こもれびあふれる、明るい場所じゃない。

この界隈だけ急に寒くなって、雰囲気が変わります。

 

来てよかった。やっぱり怖い。

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おお、これだ。 平家の墓。

夢にまで見た(夢でうなされた)日本一の心霊スポット。 

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墓石が新しいのと墓が少なすぎるので

赤間神宮にリニューアルオープンするときに区画整理したのではないか。

ここの史跡、全体的に新しいし宝物殿でも「年代を書いてない」

 

阿弥陀寺時代にどういう供養がされてたのか。

「怪談」執筆時にはすでに赤間神宮になってるので、

「耳なし芳一」がこの墓の状況を前提に書かれたのか。

 

ひっかかる箇所がたくさんありますが、

調べても良いことが何もなさそうなのでやめます。

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二位尼もここに眠ります。

安徳天皇のとなりです。

人生は理不尽だけど、最後くらいは近くにいたい。

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高浜虚子の歌碑。

右奥に見えるのが「芳一堂」です。 

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前を通ると自動でテープが流れるので、すごく怖いです。 

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耳なし芳一のためにはるばる下関まで来た人間には

知ってることばかりであった。 

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今回の戦利品。

赤間神宮では定期的に講演会をやってて、講演録もたくさん用意されてます。

ラインナップを見たけど、知ってる学者さんばかりです…。

(どの大学教授も、赤間神宮の依頼なら絶対引き受けるよね)

 

この先はおまけです。

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関門海峡=橋(車、電車)かトンネル(徒歩、自転車)、

人間も渡れるんです。だから「人道」です。

 

「ドキュメント72時間」で取り上げられてて

気になっていた場所です。

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片側一車線のまっすぐな道。

今回はレンタサイクルを押して通りました。

 

行き(門司→下関)のときは空いてましたが、

帰り(下関→門司)に、入る直前に大量の修学旅行生とすれ違いました。

 

修学旅行の目的地になるのか、人道は。

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八咫鏡を発掘したと主張する地域住民から神器の奉納を依頼されて

訴訟になったらしい。 そういうのは頼朝に言えよ。 

 

 門司港からは、巌流島行きの船も出てます。

移動・滞在含め2時間くらいで回れますので、余裕のある人はぜひ。

 

次回は堺・阿倍野の予定です。

お目当ては石津合戦の古戦場、北畠顕家の墓。

家から近すぎてのびのびになってるやつです。

(おしまい)