反応がないのにめげずに第三弾です。
史跡ってのは、調べれば調べるほど行きたい場所が増えていきます。
不思議なモノですね。
六波羅第跡・六波羅探題跡 | 幻の京都探訪 | 京都じっくり観光
日本人なら誰もが名前だけは覚えている史跡、六波羅探題。
承久の乱の後に幕府と朝廷の力関係が崩れ、
朝廷を監視するために幕府が設立した出先機関です。
南北朝関係で言うと、滅ぼしたのが尊氏だったり、
仮御所が六波羅にあって(この辺が両者の力関係を示してる)、
その後北条勢が天皇・上皇を米原まで連れ出してたりと
色々なドラマがあったようです。
京阪五条駅から徒歩10分くらいの好立地で、清水寺へ行く途中にありますので
ライトな観光客の方にも是非いってもらいたい場所です。
で、六波羅探題滅亡後に落ち延びる北条勢が佐々木道誉に追い詰められ、
集団自決したのがここ。死亡者一覧は「陸波羅南北過去帳」に載ってます。
米原です。
NHKの大河ドラマで一番輝いてた武将といえば、
真っ先に思い浮かぶのが佐々木道誉(最近見終わりました)でしょう。
あの動乱の時代に80前まで生き延び、畳の上で死んでます。
6カ国の守護をつとめた幕府の重鎮でありながら、
権力闘争もうまく立ち回り、その家系は幕末まで大名として残ったとさ。
八幡の行宮跡。南朝方の史跡です。
石清水八幡宮の近く(の平野部)にあります。
最寄り駅からそれなりに歩くようなので、動きやすい格好で。
河内長野市天野の行宮跡。山間部にある観心寺に対し、少し平野側にあります。
南朝関係の資料も沢山所蔵しているそうなので、是非一度。
(河内長野市は、行宮を2つも抱えてうらやましい)
(少し遠いところ編)
(さったやま)といえば、尊氏vs直義の最後の戦いの地。
観応の擾乱の終盤です。この戦の直後に、直義は毒殺される訳です。
富士山を見ながら気持ちよくハイキングができるそうなので、
山登りを兼ねて行くのがよろしいかもしれない。
多々良浜の戦いです(タイトルがおかしい)。
九州に落ち延びた足利勢が朝廷(建武政権)軍と戦い、劣勢をものともせず大勝。
歴史のターニングポイントとなった場所です。
ちなみにこの戦いでは、直義が先陣を切って大活躍してます。
直義、イメージと全然違うぞ。
日本全国に「行宮」ってほとんど存在しないんだが、
なぜか(主に南朝のせいで)近畿中部にたくさん存在します。
せっかくなので(吉野、天野、観心寺、住吉、八幡あたりは)回ってみたいですな。
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(17.2.14追加)
中先代の乱で鎌倉に事実上幕府を開いた(恩賞を渡し始めた)尊氏が
後醍醐天皇の討伐を恐れ、こもったお寺。
直義が敗北し、「出家しても許さん」というニセ綸旨により
(その後尊氏は挙兵、九州落ちの後京都まで巻き返し、室町幕府が誕生します)