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”幕府から見た”滅亡への視点「北条高時と金沢貞顕 やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡」(048)

高時を制すものは鎌倉幕府滅亡を制す、ではありませんが、

滅んだ側の歴史を滅んだ側ひいきの研究者が書く、と聞けば興味をそそられます。

(著者は金沢文庫の学芸員の方:バリバリの鎌倉びいき本ですよ)

北条高時と金沢貞顕―やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 (日本史リブレット 人)

北条高時と金沢貞顕―やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 (日本史リブレット 人)

 

表紙は「異形異類の者と田楽を踊る北条高時」

高時の暗愚さが幕府滅亡を招いたというのは太平記の基本概念ですので

鎌倉幕府滅亡の兆しとして、太平記の冒頭を飾る有名なエピソードです。

 
 
用語解説がすごい
 
この本は初学者〜中級者向けのレーベルなので補足・用語解説が
各ページ上方に挿入されているのですが、
すべての著述がいちいち鎌倉幕府側から説明し直してて一々面白い。
 
例えばこれ。日本人なら誰もが知ってる用語ですね。
 
六波羅探題
承久の乱後に、鎌倉幕府が京都の治安回復と法廷の復興支援のために設置した出先機関。
当初は占領軍として京都を支配したが、洛中警護・勅令施行・西国成敗などの仕事を行う出先機関に発展した。
 
承久の乱で幕府が主導権を握り朝廷を支配下に置いた、とよく言われますが、
鎌倉幕府側から見れば、人道的立場で幕府の復興支援をした、という解説。
 
実際、社長(皇族将軍)が天皇家から派遣されてたり、
東国の支配権の根拠も官職(征夷大将軍の地位)にありましたから、
幕府は(行動を把握できる範囲なら)朝廷を支配下に置く必要はありません。
 
幕府と朝廷の力関係も、「あちら側」鎌倉側から見ることで全く違って見えますね。
 
 
両統迭立をあちら側から見ると
 
さて「両統迭立」といえば、天皇家の派閥争いの仲裁を鎌倉に委ねた状態です。
「鎌倉幕府の承認」が決裁にあたるので、一応幕府側が決めることになってます。
実態はというと、鎌倉幕府は「巻きこまれる側」でした。
 
鎌倉が朝廷に介入するつもりなら(鎌倉→どちらかの派閥)の工作、
朝廷側が鎌倉を抱き込もうとするなら(どっちか→鎌倉)の工作、
 
がされるはずですが、京都から鎌倉への使者ばかり(増鏡)飛んできて
鎌倉は朝廷内での勢力争いに迷惑しています。
そもそも京都の主導権争いに鎌倉が主導的立場をとるのは現実的ではありません。
 
程度の問題もありますが、ある程度京都でまとまった段階で
鎌倉と折衝するという形式でないと、収拾が付かないでしょう。
 
 
本書の主役
 
さて、本書のタイトルは北条高時(第十四代執権、最後の北条得宗)と
金沢貞顕(連署→第十五代執権→出家)です。
高時役は片岡鶴太郎さん、貞顕役は児玉清さんでしたね。
 
大河ドラマは高時(14)→赤橋守時(16、最後の執権)のリレーになってますし、
鎌倉合戦で華々しく散った守時に対し、(わずか1ヶ月強だけ執権だった)金沢(かねさわ)貞顕はあまり知名度が高くありません。
 
 
幕府滅亡の理由
 
元寇以来御家人の窮乏が広がっており、御家人制度が制度疲労を起こしていた、
分割相続から一括相続に変わって社会不安が広がっていた、
安東氏の反乱を治められなかったので幕府の権威が失墜した、
とかがよく言われます(それでも結構)が、それに加えて重要なのが二つ。
 
「寒冷期の到来による東日本の凶作」「幕府内の政争」です。
 
 
凶作による民衆の疲弊が出発点
 
京都の観桜会の記録から各年の平均気温を割り出したデータが
基礎資料として登場します。
50年前(京都の平均気温8度)から急に平均気温5度の世界に。
立派な氷河期です。
 
鎌倉幕府は、豊作凶作にかかわらず一定の年貢を取り続けたので
凶作のリスクは御家人に丸投げです。
税金を納めるのが精一杯のときに饗宴にふける上層部をみた時、
殺意しか覚えませんね(サラリーマン的発想)。
 
 
タイミングの悪すぎる政争
 
改革(そこは別の本で勉強してね)疲れで首脳陣が疲弊していたのか、
穏健派による先例重視の保守的な政権運営がされていたのですが、
定期的に派閥争いは起こります。
(この辺の事情も、太平記には一切出てきませんね)
 
中でも決定的だったのが、
元弘の変のさなかに「長崎高資暗殺計画」が発覚したこと。
 
暗殺されそうになった側は、当時得宗家執事の実力者、長崎高資。
暗殺を謀った側はなんと北条高時。
 
長崎氏をその他で政権争いはされていたのですが、
この事件をきっかけに得宗家が権威を失い、
長崎氏が権力の中枢に位置することとなります。
 
この事件、長崎高資がリーダーシップを振るうこと自体は当時の情勢からは好ましかったのだが、タイミングが悪すぎました。
なぜなら「元弘の変の発覚直後」だったから。
 
 
事後処理ができない状態に
 
このまま後醍醐を幽閉か配流して持明院統に皇統を戻す、
という処理を通常の幕府運営ならできたものの、
政変を聞いた後醍醐は京都を脱出、笠置山で蜂起します。
 
後醍醐天皇は正中の変で完全に孤立してますし、
四方八方から退位を迫られて、あと一押しで息の根を止められるところ。
さすがは後醍醐天皇、敵が弱ってるタイミングで最後の勝負をかけましたね。
 
倒幕と天皇を旗印に、反幕府勢力が各地で蜂起し、
幕府転覆に繋がっていくというのは、みなさんご存じでしょう。
 
 
要約すると「いま争ってる場合じゃないだろ」なんですが、
時代背景から社会的・経済的要因、そして政治的な転換点と
鮮やかに描き出されたのが本書。いや、すばらしい。
(説明は端折ってますが、御家人の経済問題も結構面白いですよ)
 
 

 

北条高時と金沢貞顕―やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 (日本史リブレット 人)

北条高時と金沢貞顕―やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 (日本史リブレット 人)

 

 

応援してるから買って下さい
 
・・・という話はこの本を読んで初めて知りました。
北条得宗側から幕府滅亡を描いた本は結構珍しいので、
この辺まででピンときた人は、ぜひこの本を買ってください。
 
80P強、わずか1000円足らずの小冊子ですが
情報も新規ですし、説明も簡明そのもので、今まで聞きかじった知識が繋がっていくのが分かります。
 
歴史のダイナミックさを十分に感じられる本書、
ここ10年で読んだ中でベスト5には入るでしょう。
オススメです。